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2021年8月27日金曜日

NTK 苗の植えかえ方 : Ep2 Season2  〜食卓を変えた植物学者〜

 「もう夏も終わりだな、今年の夏休みは台風で海に行けなかったかわりに猛暑日が少なくて楽勝だった、へへっ!!! 」

と、ほくそ笑んでいたところ、今週は猛暑日がもどってきてしまいました。一旦油断してしまうと、暑さが部屋から抜けきらない熱帯夜はさらに辛く感じます。


さて、室内栽培で使い古したネットポットは、いわゆるヘヴィーデューティーといわれる丈夫で柔軟性が高いPP=ポリプロピレン製。耐久性は高いのですが直射日光で劣化しやすいので、日当たりをあまり必要としないシダ類の植栽には向いています。

ポットの横に穴を開けてビカクシダ・ネザーランドの苗たちを寄せ植えてみました。半日陰の雨ざらしになる場所で、落ち葉がヒラヒラと積もる屋外の方が生長が非常に早いので、11月末ごろまでは屋外で管理します。






このビカクシダは、一年中室内で管理していた頃はほとんど大きくなりませんでしたが、春から晩秋まで屋外の半日陰に置くようにしてから何倍にも大きくなりました。雨降りが続いた先週はとくに、日毎に葉っぱが目に見えてグングン大きくなりました。






ストレプトフィラは、花が咲き終わった親株を吸収するかのように脇から展開してきた子株がグイグイ生長しました。



今年の春先に、花が終わった頃の親株です。






マイヤーレモンは今年たくさん果実をつけました。中国原産のマイヤーレモンは、耐寒性が強く関東でもよく育ちます。




マイヤーレモンが、アメリカのプラントハンターによって北京で偶然発見された経緯も記述されている「食卓を変えた植物学者」。まだ読んでいる途中ですが、アメリカの現在の豊かな農作物をもたらしたデヴィッド・フェアチャイルドについて書かれた伝記です。






NTK 苗の植えかえ方 : Ep2 Season2 
スターティングポットからファイナルポットへ苗を植えかえるタイミングの見極め、植えかえ時と植えかえ後の管理のポイントが、よくわかる動画です。









2021年8月20日金曜日

「園芸は国家盛衰のバロメータ」

 ゲリラ豪雨が各地で水害を起こした週が明け、青空がもどってきました。

被害を受けた皆様に心よりお見舞い申し上げます。



8月のとある日、窓辺に置いたブリキのプランターでセミが脱皮をしていました。
「なぜ? どのような成り行きでここで脱皮することに?」ちょっとした衝撃が走りました。





毎朝アサガオがよく咲いてくれています。アサガオを見るたびに日本の園芸が世界に貢献した偉大さと歴史の凄さをシミジミと感じます。





日本の園芸史の奥深さに心惹かれる方々には 是非一読いただきたい書籍のひとつです。

2度目の紹介になりますが、書中のなかには何度でも噛みしめたい言葉があります。
「国の盛なる時 園芸は必ず栄え、その国の亡びんとする時、園芸まず衰う。園芸は国家盛衰の晴雨計(バロメータ)である」





コロナ禍による巣ごもり需要の影響で、かつてないほど好調なものがDIY、アウトドア、そしてガーデニングです。

ここ最近、近所の住宅街を歩くと様々な変化に気がつきます。ウッドデッキがいつの間にかリフォームされていたり、庭木の果樹やプランターの野菜が例年になくタワワに実っていたり、粗大ゴミが消え去った後にスタイリッシュなプランターに植えられたオリーブやユッカなどの植栽が配置されていたり・・・

心のゆとりができると、暮らすことに手間をかける気持ちになれるのだな、と実感します。


2018年2月15日木曜日

「園芸は、国家繁栄のバロメーター」園芸の衰退は国家の衰退。

一本の道をはさんで、「こっちは川崎、あっちは横浜」という市境ちかくに住んでいます。「日本のみならず、世界の園芸史を語るとき、横浜はゼッタイに外せない」ということをこの本を通して思い知りました。






「18世紀から19世紀にかけて、園芸文化史上に燦然と輝くのは、
東洋では日本、西洋では英国であるといわれています。
日本は江戸時代で、英国はヴィクトリア朝時代を中心とした時代でした。」




横浜港から世界に広がっていった誇るべき日本の園芸の歴史を、バックリすぎるほどにおってみると・・・

1853年に黒船ペリーがヨコスカ(カタカナが似合います)に来航→1859年日米修好通商条約にもとづき、横浜港がオープン。山手に外国人が住むエリアができます。その後明治維新が起こると、武家社会が崩壊し、武家中心だった園芸や造園の文化が、民間へと解放されたそうです。
同じく空前の園芸ブームとなっていたイギリスの地では、もともと在来する植物の品種が乏しく、シーボルトが持ち帰ったり図鑑にした日本の在来植物の豊富さが西洋で広まるにつれ「日本にプラントハンティングに行くぞ!」的なブームが起こっていたそうで、日本にある豊富な在来植物を実生で改良しては輸出アンドめずらしい樹木や交配品種の輸入が盛んになったそうです。







こうして、日本の在来植物が横浜港から世界各国の港へ輸出され、また外来の植物や交配された新品種たちが世界の港から横浜へ持ち込まれ、新しモノ好きな日本人によって、さらに植物の種類が豊富になっていったようです。歴史上にのこり、語り継がれるような事象というのは、いくつかの要因が偶発的に重なって、一気に広がることが多いのですが、日本でおきた空前の園芸ブームもその通りだったようです。







確かに、都内の下町を歩いた時のことを思い返してみると、ご家庭の軒先から歩道にまでせり出した鉢植えや庭木たちの種類が「無秩序」といえるほど豊富すぎて、海外ではあまり目にできない光景かもしれません。定番の植えっぱなしは、ツツジ、アジサイ、椿、南天、センリョウ、マンリョウ、柑橘にバラなど昭和から現役の植物をはじめ、アロエ、カクタス、オリーヴにユーカリ。そして、近頃目にすることがグンと増えてきたデザートプランツであるユッカ、アガベにサキュラントたち! 

さしあたり日本列島は、ビル・ゲイツ氏がつくった種子銀行よろしく、世界各国の主要な植物たちが現存している地なのかもれません。

ここで明治22年に発行された園芸専門誌の、實際園藝(じっさいえんげい)創刊号の序文をかみしめたいと思います。



「国の盛なる時 園芸は必ず栄え、その国の亡びんとする時、園芸まず衰う。

園芸は国家繁栄のバロメータ(晴雨計)である。」


ガーデニング・ブームがながく続いている今の日本ということは、もちろん課題はありますが、歴史的に見れば人々の生活が物質的にも精神的にも安定していて、心のゆとりを大切にできるという、喜ばしいことなのです。めでたし、めでたし。
この火をともしつづけるために、がんばっていこう!!!! と心から思いました。








・・・ということで、さらに詳しくは書籍をGETしていただくとして、横浜の歴史に興味を持ちましたため、「横浜市歴史博物館」に足を運んでみました。

 道すがら、「大塚・歳勝土遺跡公園」を散策です。

















茅葺き屋根の見事な古民家は、江戸時代のものだそうで、やっと梅が咲きはじめたこの頃は訪れる人もまだまばらでゆっくりと見学できました。


















公園内には、弥生時代の集落の遺跡や墓地などが復元されています。「横浜市歴史博物館」でガイドさんからお聞きしたお話によると、横浜市は、都筑区や港北区の都市開発のためにかなり大規模な地質調査をおこなったとき、この大きな遺跡が発見されたそうです・・・川崎市は、まばらな宅地開発が行なわれてきたので、知らず知らずのうちに大規模な遺跡が寸断されて見つかってきた可能性があるようです。



















弥生時代をさらにさかのぼる「縄文時代」、日本列島には主に関東に人口が集中し(あと東北に少し)、西日本にはほとんど文明の跡がみられなかったそうです。横浜には、マンモスや、トナカイの祖先のような大型の哺乳類が生息していたとのことです。


















この時代、矢じりやナイフなどに利用されていた「黒曜石」。ガーデニング好きならば、パーライトの原料、と頭に浮かぶ人も多いでしょう。天然の黒曜石は、火山の噴火でできる珪酸塩ですが、子供たちが黒曜石のかけらを「駐車場で見つけた〜」と時折持ってくることがあるそうです。「そのような黒曜石は、ゴミの焼却場でできるんですが、再利用されるゴミ資材が土木資材に混ざるので、新しくできたコインパーキングなどで見つかるんです。」そうです! 火山の噴火でできる鉱石は、なんと今は「高温の焼却炉」でも、つくられるんですね。すごい!



















「なぜ縄文時代の土器は、こんな割れやすいデザインになってるんでしょうか? あのでっぱってるフチは、ゼッタイに欠けやすいですよね?」

「きっと、火にかけて熱くなった土器を持ちやすくするためでしょう。獲物を調理すると、油や血で手がヌルヌルするから、でっぱりに指を引っ掛けて持ちやすくしたのかもしれません。」
























この展示品あたりになると、横浜港が開港して海外との貿易が盛んになっていたことが伺えます。









































結論として、こちらでは横浜港と植物の貿易についての記述は見つけられませんでしたが、縄文時代から人々の生活が息づいていた横浜について、よく知ることができました。